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東京高等裁判所 昭和26年(う)2215号 判決 1952年9月22日

控訴人 原審検事 高井麻太郎

被告人 森江信照 弁護人 花井忠

検察官 吉井武夫関与

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役十月に処する。

但し、本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶与する。

原審の訴訟費用中、被告人に対する偽証被告事件(昭和二四年(は)第二〇六号)について、証人木村孫三郎、同鈴木吉次郎、同中根恒夫、同横田内蔵之丞(第一、二回共)に支給した分は全部被告人の負担とする。

本件公訴事実中、衆議院議員選挙法違反の点につき、被告人を免訴する。

理由

本件各控訴の趣意は末尾に添えた各書面記載のとおりである。

花井弁護人控訴趣意第五点について。

しかし、所論中根恒夫外一名に対する衆議院議員選挙法違反被告事件の被告人中根恒夫に対する昭和二十四年十月十七日附第三回公判調書(謄本)を見ると、同日水戸地方裁判所土浦支部の公判廷に同被告事件の証人として出頭した森江信照に対し、裁判長は宣誓の趣旨を説明し、これを理解することができるものと認めて宣誓させ、偽証の罰及び刑事訴訟法第百四十六条、同法第百四十七条に規定する証言拒否権を告げたとの旨の記載があり、又記録に徴すると、被告人は昭和二十四年一月二十三日施行の衆議院議員選挙に立候補し、自己の当選を得る目的をもつて衆議院議員選挙法違反の罪を犯した嫌疑によつて同年三月十日水戸地方裁判所土浦支部に起訴されたことが明らかであるから、被告人は証言の内容が、自己において右衆議院議員選挙法違反被告事件の被告人として有罪判決を受ける虞があるとすれば、刑事訴訟法第百四十六条によつて証言を拒むことのできた筈であるのにも拘らず、右公判廷において進んで宣誓した上証言をしたのであるから、その証言を目して証人たる被告人の任意な供述でないというのは当らないものといわなければならない。尤も、被告人が右公判廷における証言を拒むときはあるいは、前記衆議院議員選挙法違反被告事件における被告人としての自己の供述の信憑力が減殺されることがあり得るかも知れないが、又常に減殺されるものとは限らず、裁判所が別個に、自由に判断すべき事項であつて、被告人がかかる地位におかれることは採証上、已むを得ざることというべく、右の如く被告人が証人として喚問された場合は自己に対する前記被告事件の影響から証人として供述を強制されるという一種の心理的圧迫を受けており、従つて被告人には証言を拒否すべき真の自由意思がなかつたと論ずるが如きは刑事訴訟法第百四十六条の存在理由を否定することに外ならぬものであつて、失当たるを免かれないであろう。されば水戸地方裁判所土浦支部が中根恒夫外一名に対する衆議院議員選挙法違反被告事件の証人として被告人を同事件の公判期日に喚問しもつてその供述を求めたことは、憲法第三十八条に違反して被告人に不利益な供述を強要したものということはできないから、原判決には何等所論の違法はなく、論旨は理由がない。

同第六点及び同弁護人作成名義の上申書と題する書面記載の控訴の趣意二について。

しかし、偽証罪の規定は宣誓によつて担保された供述の正確性を保持し、よつて、国権の作用、ことに司法裁判権の行使をあやまらざらしめんことを目的として設けられたのに対し、証憑湮滅罪の規定は具体的個別的な各個の事件について、正確な国家刑罰権の行使に関する認定を誤らざらしめんことを目的として定められたものであるから、互にその構成要件を異にする別個の犯罪であり、従つて、刑法第百四十六条に所謂証憑の湮滅又は証憑の偽造変造の罪の中には同法第百六十九条の偽証罪を包含するものではないと解すべきである。それ故、他人の刑事被告事件に関し、苟くも法律に依り宣誓した上、虚偽の陳述を為した以上、たとえその証言事項が自己の犯罪事実に関係があるとしても偽証罪の成立を妨げないものというべきである。そして、証人において自己の証言によつて自己が有罪判決を受ける虞があれば証言を拒絶することができることは前説明のとおりであるから、かかる場合、敢えて身の危険をも省みず、宣誓の上尋問に答えて虚偽の陳述をした以上、証人が偽証罪によつて処罰される危険において自ら防衛手段に出ないことは何人からも期待できないということを理由として偽証罪の成立を否定することはできない。従つて、原判決には所論の違法はなく論旨は理由がない。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 下村三郎 判事 高野重秋 判事 真野英一)

控訴趣意

第五点原判決理由の事実第一の三は、被告人は中根恒夫の衆議院議員選挙法違反被告事件に証人として出廷し、宣誓の上、中根方に懇談会を開催した目的は農村電化及び酒精製造等の事業計画の下準備であつて選挙に無関係なる旨並びに山本吉蔵方に於て横田蔵之丞等に金五万円を供与したこと無き旨虚偽の陳述を為したと認定し之を偽証罪に問擬したのである。然しながら右証言の内容は、原判決理由の第一の(4) 及び(6) に於て被告人に対し立候補の届出前の選挙運動並びに選挙人に対する饗応、選挙運動者に対する選挙運動の報酬供与として有罪の認定をされた本件公訴事実に対する被告人陳述に外ならぬのである。右公訴は被告人と中根恒夫とを金銭授受の必要的共犯の関係を以て提起されたものであるから被告人に対する衆議員議員選挙法違反被告事件と中根恒夫に対する同法違反被告事件は分離さるべきではなく併合審理さるべき筋合のものである。偶々審理手続の便宜上分離された為め別件に於て証人たる地位を強いられたに過ぎない。一箇の被告事件が二箇の被告事件として平行審理中、検察官が公訴事実を否認する一方の被告人を、他の被告事件において証人として喚問を請求すれば、該被告人は公訴事実について証人として証言を拒否し又は公訴事実を否認することも出来るものであるが、証言の拒否は、やがて、別件に於ける被告人陳述の信憑力を減殺するものであつて、被告人の防禦権の抛棄を意味するであろう。而て若し公訴事実否認の証言が偽証罪を以て起訴されるものとすれば、被告人に残された途は証人として公訴事実を肯定するだけである。かくして被告人は自己の被告事件に於て防禦権を有しながらその行使を妨げられ、自白の余儀なき窮地に追い込まれるのである。されば検察官は、公訴事実を否認する被告人があれば、この方法を以て彼を別件に証人として喚問し被告人を窮地に陥れて被告人の防禦権の行使を妨げ、自白を強要することも出来ることになるのであるが、訴訟法上可能なこの手段は、何人も自己に不利益な供述を強要されないことを保障する憲法第三十八条に牴触するのである。

被告人は昭和二十四年十月六日開廷された水戸地方裁判所土浦支部の被告人に対する衆議院議員選挙法違反被告事件の第二回公判に於て公訴事実を否認した。言ふ迄も無くそれは被告人の防禦権の行使である。同年十月十七日に至り、分離された中根恒夫に対する衆議院議員選挙法違反被告事件の公判廷に於て被告人をして証人の形式を以てその防禦権の行使を抛棄せしめて憲法の保障する基本的人権の侵害を認諾させることは許されない。このことは何人からも期待出来ないことであり且つ何人からも期待すべきことではない。されば被告人が中根恒夫に対する被告事件に於て仮に真実に反する証言をしたとしても、それが自己に係る公訴事実に対する防禦権の行使の意味を有する限り期待可能性なき行為として責任を阻却し偽証罪成立の余地がないのである。原判決はこの点に於て罪とならない行為に対し刑責を科した不法があると信ずる。

第六点偽証罪は証憑湮滅罪の特別罪であつて、両罪はその本質を等しくする。刑法第百四条に依れば証憑湮滅罪は他人の刑事被告事件に関してのみ成立するのであつて自己の被告事件については証憑を湮滅しても犯罪は成立しないのである。されば偽証罪も証憑湮滅罪の特別罪としてその本質を等しくする限り自己の証憑を湮滅する虚偽の陳述をする場合に犯罪の成立すべき理由はないのであるが、問題は偽証罪が法律に依り宣誓した証人に限られる点に在るのであろう。

思うに我が刑法の母法であるドイツ刑法の偽証罪は、証人の宣誓が裁判官の「全能全智の神に於て、良識に従い真実を述べ何事も黙秘せざることを誓はれよ」の辞に応じて「それを誓い神かけて偽らず」と云う形式を取ることに於て示されて居る如く、宗教観念を基礎とする概念であつて、これが処罰の本質は証言の内容たる虚偽の陳述よりも寧ろ宣誓の形式に違背する神の冒涜に在るのである。ドイツ刑法が之を偽誓罪(Meineid)と規定する所以がここに在る。然るに我が刑法はドイツ刑法を母法としながら、この点に於て明白な区別を以て立法したのである。我が刑法が之を偽証罪と規定したのは、その証言の内容を偽る罪と云ふ概念を採用したからであつて、証人も亦神かけて誓ふのでかく、単に自己の良心に従ふことを誓ふだけである。即ち証人が良心に従はないとき、宣誓の面で侵害されるのは自己自身であるからそこに違法性を認むべきものではかく、虚偽陳述の内容にあるのである。即ち我が刑法の偽証罪は宣誓を以て単なる条件とする証憑湮滅罪であると謂はねばならぬのである。ここに於て偽証罪の証憑湮滅罪たる本質に鑑みれば、法律に依り宣誓した証人と雖も自己の刑事被告事件に関する証憑である限りは、虚偽の陳述即ち証憑湮滅を敢てするも罪となるものではない。而て何故に罪とならぬかの基本観念は即ちその身自ら処罰されんとする危険に於て自ら防衛手段に出ないことは何人からも期待が出来ないと云う期待可能性の理論に基く責任阻却に存するのである。

原判決は被告人が証人として虚偽の陳述をなした旨を認定したのであるが、それにしても被告人は自己の刑事被告事件に関して証言したのであつて、偽証罪の成立を阻却すべきに拘らずその罪責を問ふたのであつて、この点に於て罪とならない行為に対し刑責を科した不法があるのみならず「被告人森江信照の弁護人は同被告人の偽証の所為は期待可能性がないから刑事上の責任がないと主張するけれども判示第一の三認定の如くであるから右弁護人の主張はこれを採用しない」と説示して期待可能性につき何等合理的な判断を示さない点に於て判断を遺脱した下法があると信ずる。

上申書

二、偽証被告事件について控訴趣旨書第四、五、六、七点に記載の通り無罪であることを確認いたします。この点について木村亀二著新刑法読本一五一頁以下を引用すれば「刑事被告人は自己の被告事件に関しては、当事者であつて証人ではないから犯罪の成立のないことはもちろんであるが、自己の刑事被告事件について他人を教唆して偽証させた場合も犯罪とはならない。犯人が他人の刑事被告事件について証人として訊問せられる場合であつても証言事項が自己の犯罪に関するときは、偽証罪の成立がないと解すべきである。これらの場合は犯人に対しては期待可能性がないから責任がないのである。期待可能性がないとは、社会の普通人が行為者の立場に在つたとしても適法な行為の決意に出ることを得なかつたと考えられる場合であつてこのやうな場合には行為には規範的責任要素を欠き責任がないのである」と。この論は被告人を証人として宣誓させ、証言拒否権を認めた新刑事訴訟法施行後のものであることに御留意賜わりたいのであります。

(その他の控訴趣意は省略する。)

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